例えば、日本の外交官、代表的な外交官で、貴族院議員から枢密院顧問までやられた、これは石井菊次郎さん、「外交餘録」という本で書いていますけれども、日本は、まず明治維新早々、征韓論、それから征台論で好戦国だという誤解を受けた、それをやっと解いたら、日清戦争、日露戦争でまた好戦国だと言われた、その疑問を解いたら、今度は第一次世界大戦中の対中国政策でまた好戦国だと言われたということを四十年の外交活動を振り返
吉岡吉典
先ほど私は、国家の手続を経たというふうに申しましたが、そのときに枢密院顧問官であった美濃部達吉さんはついに立ち上がりませんでした。反対でした。大変な勇気だったと思います。そういう方もいたわけですね。
古関彰一
とにかく、どちらにしてもどろぼうに追い銭というようなものでありまして、うまいこと言いよるけれども、人の蔵から物を盗み取る、こういうようなことを臨調と称するものが枢密院顧問官を控えていてどんどんやっておる、これについては弾劾をしますから、きょうはこのぐらいにしておきます。これ以上やるとまた脱線をして損をしますから、私の方で。
片山甚市
おまけにこれは御名御璽ということで、内閣総理大臣近衞文麿さん以下の当時の枢密院顧問の、これは当時は諮詢というのですかね、これを経ているわけです。ですから、そこらあたり、恩給審議会はそう言っていますけれども、それだけでは私は済まないという気がするのです。
大出俊
九万一千二百円は枢密院の副議長、戰災復興院の総裁、こういうようなところの俸給であり、八万六千四百円は、枢密院顧問官の恩給計算の基礎になつておる俸給年額であります。この八万六千四百円と、九万一千二百円に対応しますところの俸給といたしましては、特別職の職員の給與に関する法律の中には、全然ないのであります。
三橋則雄
申すまでもなく、皆樣御承知でありましようが、今日英國の大臣というものは、大臣という規定はなく、英國の古い形の枢密院顧問官であるのみであります。議員であつて、枢密院の顧問官たる者が、英國の皇帝を代表して行政を取扱うという形であります。
植原悦二郎